第 187 回(2025.3.22)
- 渡辺元裕:戦後日本の大衆文学におけるダンテ受容:その傾向と実例
- 山田高誌:18 世紀ナポリの劇場研究の実際─公証人文書から再構築される三次元的空間
第 186 回(2024.12.14)
- 池田和希:連合政権における政権運営と首相のリーダーシップ─イタリアにおける第二次ベルルスコーニ政権に至る経路を事例に
- 逸見祐太:ローマ帝政初期の元老院会議から見る皇帝・元老院関係:クラウディウス帝期の事例分析を中心に
第 185 回(2024.9.21)
- 平倉菜摘子:モーツァルトの歌姫アンナ・ストラーチェ:イタリア時代を中心に
- 柴田瑞枝:パオラ・マシーノにおける母親像:『主婦の誕生と死』を中心に
第 184 回(2024.7.27)
- 屋敷美玖:カマルドリ修道院における隠修士共同体
- 外村廉:裁判から見た 12 世紀アマルフィにおける都市行政
第183回(2024.5.11)
- 桑原夏子:聖母晩年伝表象と外典のかかわりーイタリア中世美術を例に
- Myriam Pilutti Namer:Archeologia e architettura tra Venezia e Ravenna
第182回(2024.3.12)
- 桑原真由美:ヴィリジェルモの彫刻における古代―モデナ大聖堂ファサードの有翼童子レリーフを中心に
- 高津美和:16世紀ルッカにおける宗教改革思想と市民」
第181回(2023.12.9) オンライン開催
- 朝倉南:レオナルド・ダ・ヴィンチ受容研究―
マルコ・ドッジョーノ「接吻する幼児イエスと洗礼者ヨハネ」 図像をめぐって - 芹澤なみき:ベアト・アンジェリコ«サン・
マルコ祭壇画»ピラスターパネルの再構成に関する一考察
第180回(2023.9.15) オンライン開催
- 川合真木子:17世紀伝記に見る女性画家像ーアルテミジア・ジェンティレスキを中心に
- 古川望:レナータ・ヴィガノーの⺠衆女性へのまなざしー『アニェーゼの死』における女性パルチザン「アニェーゼ」の表象を中心に
第179回(2023.7.21) オンライン開催
- 吉田愛:闘争としての「150時間」―1960-
70年代労働運動がとらえた教育思想の盛衰 - 福山佑子:村川堅固の南イタリア旅行ー遺跡探訪と古代への眼差し
第178回(2023.5.27) オンライン開催
- 越前貴美子:異例のレジスタンス小説―ラッラ・
ロマーノ『Tetto Murato』 - 徳家統:ガエ・アウレンティーその足跡の傍ら
第177回(2023.3.17) オンライン開催
- 林孝洋:19世紀ニューヨークにおけるイタリア系
亡命者の生活世界―亡命者の「脱神話化」を目指して - 白川太郎:フランチェスコ会・司牧・予言者―マルゲリータ・コルトーナの『議事録』と14世紀初頭の信仰
第176回(2022.11.26) オンライン開催
- Lorenzo Piani:Influenza dell’inglese L2 sull’acquisizione dell’italiano L3 di studenti giapponesi:un’analisi sull’uso degli articoli
- 福山佑子:15-16世紀イタリアにおけるウェスウィウス山噴火の記憶―早稲田大学図書館所蔵『ローマ皇帝群像』(1503年頃)から見るジョルジョ・メルラと古代への関心
第175回(2022.9.9) オンライン開催
- 北村秀喜:カトゥッルス詩歌集の伝承―la tradizione dei carmi catulliani
- 田中真美:ボッカッチョにおける読者と教訓の受容―『フィアンメッタの哀歌』における読者への呼びかけの分析を中心に
第174回(2022.7.2) オンライン開催
- 古川望:ファウスタ・チャレンテの作品におけるナショナル・アイデンティティの問題:トリエステのイタリア系ブルジョワジーとアレクサンドリアのヨーロッパ系ブルジョワジーへのまなざし
- 林いのり:歌劇『シモン・ボッカネグラ』(1881)、『オテッロ』(1887)における「悪」の表象―台本詩行および楽曲の構造、歌唱旋律による口調の表現から―
第173回(2022.5.13) オンライン開催
- 清野真惟:イタリア同盟の発動と政治言語としての「イタリア」の利用―ピウス2世とフェッランテの事例
- 砂田恭介:スラヴ語の擁護者からダルマティア生まれの教会博士へ―15世紀アドリア海東岸におけるヒエロニュムス崇敬の戦略的受容
第172回(2022.2.25) オンライン開催
- 飯嶌剛将:ペトラルカと弟ゲラルド―『詩篇』論の形成
- 坂田道生:ローマ軍と宗教壁画―ドゥラ・エウポリス出土の≪ユリウス・テレンティウスのフレスコ≫について
第171回(2021.12.8)オンライン開催
- 太田岳人:第二次世界大戦後のイタリアの政治文化とグラフィック・デザイン:アルベ・スタイネルの場合
- 飛嶋隆信:ヴァルデマール・ジョルジュの美術批評とイタリア美術界
第170回(2021.9.10) オンライン開催
- 古川望:『こんな風でした』における女性の表象とナタリア・ギンズブルグのジェンダー観
- 小久保真理江:フォルトゥナート・デペーロのアメリカ滞在
第169回(2021.7.3) オンライン開催
- 柴田瑞枝:ファシズム期の検閲と女性文学:パオラ・マンシーノ『主婦の誕生と死』についての考察
- 桑原夏子:ジョットの下絵の共有―スクヴェベーニ礼拝堂内陣とサンタ・マリア・イン・シルヴィス修道院付属聖堂において
第168回(2021.5.22) オンライン開催
- 奥田耕一郎:公営住宅Case popolariの源流をめぐって―モダニズムと「ドーポ・ラヴォーロ会員の家」―
- 久保佑馬:ティツィアーノと石板油彩画技法の発展、越境―セバスティアーノ・デル・ピオンボのスレート板技法を超えて―
第167回(2021.1.30) オンライン開催
- 渡辺有美:フィリッポ・リッピ(1406―69)スポレート大聖堂内陣におけるベラルド・エロリの関与と無原罪の御宿り
- 高橋春菜:テンポ・ピエーノとは何だったのか―ボローニャ教育市民会議Febbraio pedagogico(1972)の議事録を中心に
第166回(2020.11.28) オンライン開催
- 糸隆太:ローマ軍と肉食
- 伊藤怜:ナポリ司教座聖堂ミヌートロ礼拝堂壁画「ペテロの磔刑」に関する試論
第165回(2020.9.26) オンライン開催
- 岸田菜摘:ロドルフス・グラベールの著作から見るローマ教会と「ギリシャ人」
- 古田耕史:レオパルディの≪夢≫を読む
第164回(2020.6.27) オンライン開催
- 宮坂真依子:プラウトゥス『綱引き』におけるfides
- 木戸口聡子:ローマ皇帝の娘が果たした政治的役割:皇位継承とマルクス・アウレリウスの娘たちの結婚
- 太田岳人:初期ブルーノ・ムナーリにおけるユーモア
第163回(2020.1.25)
- 角田かるあ:モダニズモ写真としての「フォトディナミズモ」―未来主義写真家G.ブラガーリアにおける「純粋化」―
- 佐伯綾希:ウンベルト・ボッチョーニとイラスト文化:1900年前後の美術界における「近代性」の一側面
第162回(2019.12.7)
- 村木数鷹:歴史家マキャベッリの画期性
- 清野真惟:外交官マキャベッリの「レトリック」
- 藤澤大智:レオパルディとマキャベッリ
第161回(2019.10.5)
- 白川太郎:神秘体験と「聖性」:キアラ・ダ・モンテファルコの生涯と表象
- 芹澤なみき:フィリッポ・リッピとパドヴァ―額の制作に関する一考察―
第160回(2019.6.29)
- 桑原真由美:モデナ大聖堂における創世記図像について
- 鈴木鉄忠:フロンティアのトリエステ~国家の辺境、南東・中欧の玄関口
第159回(2019.5.11)
- 武関彩瑛:古代ローマ壁画のコピーに関する一考察―背景描写を中心に
- 林優来:第一次大戦以前のイタリア航空史―国産機開発の試みとリビア戦争の影響を中心に―
第158回(2019.1.26)
- 小林勝:イタリア言語・文化研究会と私のプレッツォリーニ研究―退職にあたって
- 佐原広基:イタリア語文法史における〈前置詞a/in+都市名〉の用法について
- 藤澤大智:レオパルディの「唯物主義」2―唯物主義二段階論の批判―
第157回(2018.12.1)
- 石井沙和:フリウリ・ヴェネツィア・ジュリアにおける未来派の形成
- 池野絢子:カルロ・カッラにおける「秩序回帰」と「純粋絵画」―イタリア美術におけるモダニズムの再考へ向けて
- 土肥秀行:マリネッティの“規回帰”―国際的展開と演劇批評
第156回(2018.10.6)
- 川合真木子:17世紀前半のナポリ絵画とパオロ・フィノーリアの制作活動
- 湯上良:近世後期の情報管理―ヴェネツィアとヨーロッパの比較―
第155回(2018.9.22)
- 古田耕史:レオパルディにおける死の瞑想
- 藤澤大智:レオパルディの唯物論
- Mario Andrea Rigoni:Leopardi, i costumi degli italiani e l’Occidente moderno
第154回(2018.7.7)
- 大塚将太郎:中世盛期の教皇庁と情報管理
- 稲益祐太:トランスマンツァの空間構造
第153回(2018.5.12)
- 石田聖子:イタリア映画の身体表象―1910年代を中心に
- 牧野素子:ウンベルト・エーコ『プラハの墓地』に見る背景と問題提起
第152回(2018.1.27)
- 福山佑子:ネロの記録と69年の内乱:帝政初期ローマにおける記憶の破壊と帝位継承
- 永井裕子:ピントリッキオにおけるアレクサンデル6世のための壁画と肖像への関心―ヴィオのコレクションを参照として
第151回(2017.12.2)
- 土肥篤:イタリア語における心態詞
- 丸本隆:歴史か、神話か?―“リソルジメント・オペラ”の評価をめぐって
- 森佳子:プッチーニ《蝶々夫人》とジャポニズム
第150回(2017.10.14) 150回記念例会
- 千野貴裕:グラムシ研究の現在と未来
- 古田耕史:レオパルディにおける愛と死
- 伊藤拓真:ギルランダイオ工房のイメージと実態―15世紀フィレンツェの芸術家工房
- 奥田耕一郎:近代とモニュメント
- 小林勝:ムッソリーニとプレッツォリーニ
- 高田和文:ダリオ・フォーの演劇活動をふりかえる
- 篠塚千恵子:或るアプリア戦士の墓―古代南イタリアの陶器の開始状況について
- 陣内秀信:アマルフィ海岸の都市と地域の空間構造
- 菅田茂昭:ロマンス語の中のイタリア語
第149回(2017.7.1)
- 藤崎悠子:ロッビア工房における施釉テラコッタ彫刻の制作技法研究―素焼きまでの工程を中心にして―
- 大西克典:近世イタリア都市工業と啓蒙改革:十八世紀トスカーナにおける絹織物工業保護
第148回(2017.4.22)
- 塚原義央:古代ローマ帝政前期の皇帝顧問会consilium principisについて―法学者との関係を中心にして―
- 横田太郎:レオン・バッティスタ・アルベルティ『文芸の利益と不利益』と同時代の学問界:勉学と快楽に関する議論をめぐって
第147回(2017.1.28)
- 道家英穂:『神曲』と引喩―『アエネーイス』、『失われた時を求めて』と関連して
- 渡辺有美:フィリッポ・リッピとプラート大聖堂壁画の再考察―社会的背景とイコノグラフィー
第146回(2016.12.3)
- 松井健太:1950年代から1960年代にかけてのアルド・ロッシの建築言語の変化について
- 清野佳奈絵:イタリアの出稼ぎ労働者―ローマのバングラデシュ人を例に―
第145回(2016.10.1)
- 増永菜生:書記官イヴァーニの活動から見る1470年代フィレンツェの領域統治
- 高橋春菜:戦後における地域教育生みの親としてのコムーネ―ボローニャを事例として
第144回(2016.6.25)
- 原田亜希子:16世紀の空位期(Sede vacante)における都市ローマ
- Daniela De Palma:Le relazioni tra Giappone e Russia dal 1945 ad oggi
第143回(2016.5.7)
- 阿久澤弘陽:補文を取る動詞”dimenticare”と再構造化現象―日本語の「忘れる」との比較から
- 小久保真理江:チェーザレ・パヴェーゼの”la trilogia delle macchine”における身体
第142回(2016.1.30)
- 田中麻里奈:現代演劇における、音のドラマトゥルギー~空間を作曲する~―キアラ・グィーディ(演劇カンパニー ソチエタス・ラファエル・サンツィオ)、ニコラ・サーニ(ボローニャ歌劇場芸術監督)による現代演劇における音空間形成の手法
- 越前貴美子:物語空間としてのトリノ―『創作された青春時代』における「風景」の役割
第141回(2015..12.5)
- 土肥篤:イタリア語における与格用法分類について
- 東哲史:イタリア語とフランス語の時制・法の比較
第140回(2015.10.3)
- 横田さやか:ジャンニーナ・チェンシと〈飛行する身体〉―未来派的〈飛行する身体〉が〈航空ダンス〉に昇華するまで
- 巖谷睦月:ルーチョ・フォンターナと1930年代ミラノの抽象 カルロ・ベッリ、エドアルド・ペリシコ
第139回(2015.6.27)
- 向井華奈子:16世紀イタリア語文法における条件法の扱いについて―ピエトロ・ベンボを中心に―
- 杉山博昭:聖史劇が上演する聖別と瀆聖
第138回(2015.5.16)
- 高橋謙公:13世紀後半の地中海世界と港―シチリア王国の港湾管理―
- 新谷崇:カトリック聖職者のファシズム体制への支持形成について
第137回(2015.1.24)
- 河村英和:19世紀カプリ島に訪れた外国人芸術家たちとホテル・パガーノ
- 山崎彩:クラウディス・マグリス『ミクロコスモス』をめぐって
第136回(2014.11.29)
- Zane D.R.Mackin:Dante e la predicazione medievale:all’incrocio di retorica,poesia e teologia
- 桑原夏子:地震とラクイラ美術:ラクイラ復興の現状報告と、サンタ・マリア・アド・クリプタス教会北壁装飾プログラムの考案期についての一試論
第135回(2014,10.4)
- 櫻井麻美:1500年代後半のイタリア庭園における「森」の意味―ボマルツォの「聖なる森」の場合
- 高橋春菜:イタリア公教育における学校外教育の位置づけの変化について―1985年版「公教育プログラム」と2012年版「国のカリキュラム指針」および制定の経緯に着目して
第134回(2014.7.19)
- 坂田道生:ピアッツア・アルメリーナのヴィッラに関する一考察―小狩猟図に基づいて―
- 千野貴裕:近代国家と未来社会―グラムシにおける「倫理国家概念」を再考する
- 永井裕子:ピントリッキオと周辺画家による書物を伴う聖母子像の型の利用
第133回(2914.4.19)
- 萩原里香:舞台上演責任者「コラーゴ」:人物像に関する考察
- 牧野素子:アントニオ・タブッキ『供述によるとペレイラは・・・』から始まる考察―現代反ユダヤ主義とその対策
第132回(2014.1.25)
- 三浦香里:聖家族と子羊をめぐって―プラド美術館のラファエロ作品―
- 菅田茂昭:没後100年ソシュール『一般言語学講義抄』の新対訳について
第131回(2013.11.30)
- 星野友里:ナチス・ドイツの対イタリア外交における南ティロール
- 糸隆太:畜産業と古代ローマの市民理念
第130回(2013.10.5)
- 津澤真代:15世紀フィレンツェにおける学位取得者とキャリア形成
- 中島裕美子:フェデリコ・トッツィ 無意識の探究
第129回(2013.6.29)
- 山手昌樹:ファシズム時代の国内移民
- 奥田耕一郎:ドーポラヴォーロ事業団の余暇施設
第128回(2013.4.27)
- 津田悠一郎:イタリア語の音韻構造
- 倉科岳志:晩年期のクローチェ―ファシズム病気論と弁証法の起源
第127回(2013.1.26)
- 小檜山明恵:パヴェーゼと神話
- 藤沢桜子:『米欧回覧記』と古代ローマ文明
第126回(2012.12.1)
- 向井華奈子:16世紀の言語問題―「はじめての」イタリア語文法書をめぐって
- 高雄有希:エーコの小説における知の”laicità”
第125回(2012.10.16)
- 阿部雅子・森田学:歌唱イタリア語の発音・発声と表現
- Valerio Alberizzi:Gli studi sulla lingua giapponese in Italia:Storia e situazione presente(イタリアにおける日本語学の歴史と現状)
第124回(2012.6.30)
- 新倉慎右:ミケランジェロ作サンタ・マリア・ソプラ・ミネルヴァ聖堂の《キリスト》再考―再発見されたバッサーノ作品との比較を通じた造形分析―
- 高津美和:16世紀ルッカにおけるアオニオ・パレアリオの教育活動:上級学校教師着任の経緯をめぐって
第123回(2012.5.12)
- 趙泰昊:Geoffrey Chaucerの『Troilus』とBoccaccioの理想化されたドンキホーテ的な騎士の系譜
- 太田智子:トスカーナ大公妃マリア・マッダレーナ・ダウストリアの結婚入場式(1608年)の考察
第122回(2012.1.28)
- 羽鳥江津子:イタリア解放運動とイギリスのメディア
- 福山佑子:祭司団記録におけるダムナティオ・メモリアエ―断罪されたローマ皇帝名の削除をめぐって
第121回(2011.11.19)
- Michele Camandona, Chiara Zamborlin:Stili della comunicazione: Manuale d’Amore
第120回(2011.10.8)
- 原口昇平:生成する回想―ダンヌンツィオの詩に基づくピッツェッティの歌曲《牧人たち》の原理
- 林克彦:ピエロ・デッラ・フランチェスカ作《モンテフェルトロの二連画》制作動機に関する一試論
第119回(2011.7.2)
- 吉澤明:70年代イタリア議会外左翼の運動からイタリア社会の特質を探る
- 吉田昇司:イタリア美術と、弦楽器のデザイン
第118回(2011.6.11)
- 桑原夏子:顕現する聖天使―フラ・フィリッポ・リッピ作《バルバドーリ祭壇画》における立像聖母子表現をめぐって―
- 名尾良泰:英語から覚えるイタリア語―イタリア語felice(幸せな)とは、アニメの黒猫Felixのことです―
第117回(2011.5.14)
- 原田亜希子:16世紀後半におけるローマ市行政組織―コンセルヴァトーレの活動を中心に―
- 奥田耕一郎:ドーポラヴォーロのつくった家具―1927-29年の.N.D.による邸宅内部への介入について
第116回(2011.1.29)
- 萩原里香:17世紀初期の音楽劇における文体についての一考察
- 倉重克明:ジョヴァンニ・ヴェルガ『山の炭焼き党員』(1861―62)の語り手の性質―マンゾーニとの比較を通して―
第115回(2010.12.4)
- 飯田洋介:ローマ駐在ドイツ外交官の群像(1871―1914)
- 河野英二:カール・クラウスとイタリア―自然・文化・思想の観点からみた風刺家の「根源」―
第114回(2010.10.16)
- Alda Nannini:Riflessioni su un sillabo di lingua italiana per un corso intermedio
- Francesco De Renzo:Lessico. Istruzioni per l’uso
第113回(2010.10.2)
- 尾崎有紀子:大正期日本におけるイタリア受容の諸相―『クオーレ』と『伊国小学読本』を中心に
- 遠藤孝:アガンベンの潜勢力と政治
第112回(2010.7.10)
- 本田亜沙子:イタリア・ベルルスコーニ政権における年金改革―政策決定過程の検討を中心に
- 花本知子:日本語のあいづち、イタリア語のあいづち
第111回(2010.5.15)
- 尾河直哉:薪ざっぽうとサメの腹―『ピノッキオのぼうけん』における聖書―
- 牧野素子:アントニオ・タブッキの作品が持つ曖昧さの魅力―短編Isole「島々」所収Piccoli equivoci senza importanza『とるにたらない小さな行き違い』(1985)を例に
第110回(2010.1.30)
- 古田耕史:レオパルディの反“ロマン主義”について
- 北川佳子:ファシズム期コモの建築家 テラーニとカッターネオ
第109回(2009.12.5)
- 長沢朝代:ピエロ・デッラ・フランチェスカ作《聖十字架物語》―プロパガンダとしてのコンスタンティヌス帝を中心に―
- 山崎彩:『ゼーノの意識』への道―沈黙期に書かれた未発表の短編小説をめぐって
第108回(2009.9.19)
- 今津牧:第二言語としてのイタリア語―日本人学習者の発話と作文の統語分析
- 北村紀久子:丘上都市ペルージア―中世の都市計画と古代エトルリア市門の変容
第107回(2009.7.11)
- 大歳剛史:ボッカッチョの寓意詩における理想化された”amore”
- 伊藤拓真:聖母マリア伝としてのプラート大聖堂ステンドグラス再構成
第106回(2009.5.16)
- 尾崎有紀子:日本近代における同時代イタリアの視覚イメージ―明治~昭和戦前期の大衆雑誌・児童書を中心に―
- 牧野素子:アントニオ・タブッキの「インド夜想曲」の一解釈―ペソアと自分探しの旅物語
第105回(2009.3.7)
- 芳賀理恵:15世紀後半フィレンツェの〈トピアの天使〉をめぐって―アウグスティヌス会とメディチ派の女性を中心に―
- 尾河直哉:ピノッキオの鼻はなぜ伸びるのか?―『ピノッキオのぼうけん』における身体をめぐって―
第104回(2009.1.24)
- マルコ・マッツィ:イタロ・カルヴィーノ『見えない都市』論(オリジナル・ビデオ作品の上映あり)
- 土肥秀行:初期ウンガレッティとハイク
第103回(2008.12.13)
- 神谷久美子:ルネサンス都市国家における作品蒐集―その意義および受容に関する一試論
- 高津美和:16世紀ルッカにおける宗教改革思想の流入
第102回(2008.10.11)
- 中村勝己:プレッツォリーニとゴベッティ―《文化の組織者》の系譜
- Stefano Carletti:〈Il muro della Terra〉di Giorgio Caproni
第101回(2008.7.19)
- 酒井薫:15世紀後半ジェノヴァとオスマン朝の外交
- 花本知子:非人称のtuをどう教えるか
第100回(2008.5.17)
- 小林明子:セバスティアーノ・デル・ピオンボの絵画技法―石版画を中心に
- Alessandro Giovanni Gerevini:Editoria italiana e letteratura giapponese
第99回(2008.3.8)
- 森田学:歌唱イタリア語の発音をめぐって―美しいイタリア語の発音に向けて
- 小倉康之:ロマネスク様式の起源―ロンバルディアとカタルーニャの教会建築について
第98回(2007.12.22)
- 古田耕史:Leopardi dionisiaco?―陶酔と熱狂のあいだ
- 金沢文緒:英国風景画家リチャード・ウイルソンのイタリア滞在―《アポロと四季》をめぐって
第97回(2007.10.13)
- 金光真理子:サルデーニャの舞踊音楽の構造―ラウネッダスの舞踊曲のイスカラ概念をめぐって
- 市川慎一:ファシズムへのレジスタンスの一面―ヴァッレ・ダオスタの場合
第96回(2007.7.14)
- 伊藤怜:12世紀ローマにおける壁画装飾とイコンに関する一試論
- 土肥秀行:パウンドとパゾリーニ:失われた父性
第95回(2007.6.9)
- Nello Barile, Andrea Miconi:Immaginari di transizione tra vecchi e nuovi media
第94回(2007.5.12)
- 福山佑子:バエティカにおける属州政策
- 木名瀬紀子:現代美術が受容したイタリア・ルネサンスの遠近法について
第93回(2007.3.17) 両大戦間のイタリア―文化と社会
- 小林勝:ヴァスコ・プラトリーニと雑誌《カンポ・ディ・マルテ》
- 戸田三三冬:1920年代のエッリコ・マラテスタ
- 中村勝己:《自由の宗教》のフォルトゥーナ~ヘーゲル・クローチェ・ゴベッティ
- 藤岡寛己:グラムシと未来派〈マリネッティ〉
- 奥田耕一郎:未来派建築の変容~第一次大戦後のアントニオ・サンテリア
- 堤康徳:未来派とファシズム
- 西村安弘:国民映画としてのトーキー:マリオ・カメリーニを中心に
- 山田高誌:第一次大戦前後における18世紀ナポリ楽派研究とその広がり~前衛をも生み出したナポリの《愛国主義》の成果
第92回(2006.12.16)
- 大歳剛史:『フィローコロ』、『フィローストラト』、『テーセイダ』におけるボッカッチョの自己描写
- 梶田知史:剣闘士(gladiator)の墓碑銘について
第91回(2006.10.7)
- 鈴木信五:イタリア語における情報構造の通時的再編成と接語代名詞の位置
- 小野寺暁之:ブッツァーティにおけるミラノ
第90回(2006.7.15)
- 青木洋一郎:anniの前の数字について
- 古田耕史:レオパルディとスタール夫人―〈自然〉と〈想像力〉をキーワードに
第89回(2006.5.13)
- 増田千穂:15,6世紀イタリアにおけるシビュラ像興隆の背景について
- 関根弘子:アルプス南麓の近世の巡礼施設:ヴァラッロのサクロ・モンテーその「代用エルサレム」時代の形態を中心に―
第88回(2006.3.11)
- 小田原琳:ジョヴァンニ・ヴェルガと〈南部〉の表象
- 花本知子:AntonioとAntonio―アントニオ・タブッキと父
第87回(2005.12.10)
- 高津美和:16世紀イタリアの宗教的亡命者―ベルナルディーノ・オキーノの信仰―
- 山崎彩:トリエステのズヴェーヴォ・ズヴェーヴォのトリエステ
第86回(2005.10.15)
- 花本知子:アントニオ・タブッキ『トリスターノは死ぬ』(2004)について
- 林要一:イタリア人と笑話(Le barzellette)
第85回(2005.7.16)
- 古田耕史:ジャコモ・レオパルディの「無限」をめぐって
- 池上英洋:嬰児を殺したのは誰か―十五世紀北中部イタリアの諸相―
第84回(2005.5.14)
- 高田和広:見ること/見られること―ルイージ・ピランデッロ研究
- 木名瀬紀子:英国の画家フレデリック・レイトンとイタリア
第83回(2005.3.19)
- 三浦清美:アリストテレ・フィエラヴァンティ・ダ・ボローニャとロシア建築
- 大崎さやの:カルロ・ゴッツィのゴルドーニ演劇批評
第82回(2004.12.11)
- 松平俊久:異形の図像学―イタリア・ラヴェンナの怪物像をめぐって
- 藤岡寛己:未来派と原初的ファシズム
第81回(2004.10.16)
- 丹羽誠士郎:パルマ・ピアチェンツァ公オッターヴィオ・ファルネーゼの音楽パトロン活動
- Michele Camandona:A Est di Tokyo
第80回(2004.7.17)
- 沼野雄司:20世紀のイタリアの作曲家―ルチアーノ・べリオとルイジ・ノーノを中心に
- 小倉康之:ヴァチカンのサン・ピエトロ旧聖堂とローマ式平面型に関する一考察―貫通型とトランセプトの宗教上の機能、および空間表象について
第79回(2004.5.8)
- 奥田耕一郎:アントニオ・サンテリア(1888―1916)の建築ドローイングについて
- 東哲史:ラテン語賛歌の韻律
第78回(2004.2.7)
- Lia Beretta:L’inizio dei rapporti fra l’Italia e il Giappone nell’epoca Meiji
- 菅田茂昭:イタリア語と私
第77回(2003.12.6)
- 小林勝:第一次大戦とプレッツォリーニ
- 赤松加寿江:15, 16世紀フィレンツェの祝祭空間―都市空間にみる権力とスペクタクルの展開
第76回(2003.10.18)
- 神谷久美子:マンテーニャ作『パルナッソス』について
- 青木香代子:16・17世紀 ヴェネツィアの劇場について
第75回(2003.7.12)
- 木名瀬紀子:19世紀英国絵画と16世紀イタリア・ルネサンスの美術理論―フレデリック・レイトンが《チマブーエの名高い聖母像》と《ブルネッレスキの死》においてジョルジョ・ヴァザーリから学んだフィレンツェ芸術への憧憬と情熱
- マリア・アルフォンサ鈴木:チェーザレ・パヴェーゼ:初期の作品群について
第74回(2003.5.17)
- 高津美和:サヴォナローラの説教に対するフィレンツェ市民の反応―ドメニコ・チェッキ『聖なる尊い改革』―
- 河上眞理:アントーニオ・フォンタネージの来日経緯再考
第73回(2003.2.8)
- 田畑賀世子:六世紀イタリアの都市―古代から中世へ
- 椎名規子:イタリアにおけるドメスティック・バイオレンス防止新法(2001年)について―日本法と比較して
第72回(2002.12.7)
- 吉田香澄:中世後期の宗教建築におけるポリクロミアについて
- 中谷昭子:ベンヴェヌート・チェッリーニの作品と生涯
第71回(2002.10.19)
- 小野寺暁之:ブッツァーティ研究―閉じた空間についての考察―
- 片山伸也:中世後期シエナの住宅建築について
第70回(2002.7.6)
- 松本晴子:アントニオーニとアメリカ―芸術映画とハリウッド
- 鹿野陽子:水都ミラノ―運河のランドスケープ
第69回(2002.5.11)
- 平泉千枝:光と影の画家ジョルジュ・ド・ラトゥールに見るイタリアの影響―モンテパトリというトポスからの一考察
- 白井理恵:近代ピエモンテ研究の諸問題―国家と貴族の語るもの
第68回(2002.2.9)
- 川井繁巳:18世紀、ミラノにおけるイタリア語革新運動
- 水谷彰良:日本における19世紀イタリア・オペラ研究の現状とその問題点
第67回(2001.12.8)
- 大川智子:イタリアを描いたオランダ人
- 山本真司:アクィレイアの総司教座の成立とその言語史上の影響について
第66回(2001.10.6)
- 住岳夫:『書簡集』を手掛かりに後期カルヴィーノ作品を読む
- 中村勝己:ピエロ・ゴベッティの自由主義革命思想
第65回(2001.7.7)
- Marco Biondi:Il romanzo “Baudolino” di Umberto Eco:contesto storico culturale
- 木川弘美:イメージの伝達―初期ネーデルランド絵画とイタリアルネサンス
第64回(2001.5.12)
- 毛塚実江子:《ベアトゥス黙示写本挿絵》における図像伝播再考―ヘローナ本を中心に
- 辻本政雄:アリタリア―ハンガリー航空提携解消に見る、グローバル・アライアンス成否の要因
第63回(2001.2.10)
- 住岳夫:イタロ・カルヴィーノ―知覚の問題
- 上野まさみ:ダンテ『神曲』における出エジプトの概念
第62回(2000.12.9)
- 小林勝:プレッツォリーニのアメリカにおける教師体験
- 片桐頼続:レオナルドの最後の晩餐―修復の結果から言えるもの
第61回(2000.10.7)
- 大島久美子:アンドレア・マンテーニャ作《サン・ゼーノ祭壇画》考察
- 青木洋一郎:トロンカメントについて
第60回(2000.7.1)
- 辻昌宏:パリオとバスティアニーニ
- 黒田泰介:ルッカの古代ローマ円形闘技場遺構の住居化について
第59回(2000.5.13)
- 東哲史:ItaliaとVulgata―ラテン語聖書について
- 西村安弘:アントニオーニ作品における自己言及性
第58回(2000.2.5)
- 木名瀬紀子:W. Welliver以降の「ボッティチェリ《ヴィーナス誕生》の研究史」研究
- 堤康徳:マリオ・カメリーニの知られざる秀作
第57回(1999.12.4)
- 五十嵐勇:ローマの料理法のフランスへの影響―アピキウスとタイユヴァン
- 谷古宇尚:ナポリ・アンジュー家の2人の女性寄進者、ハンガリーのマリアとマヨルカのサンチャ―ドンナレジーナ聖堂とサンタ・キアーラ聖堂について
第56回(1999.10.2)
- ルチアーナ衣川:Per quale motivo gli studenti di Waseda s’iscrivono al corso elementare d’italiano?
- 島津紀久子:イタリア人の質問
第55回(1999.7.3)
- 藤岡寛己:ローマ会議とローマ協定(1918年4月)
- 鈴木信五:ラテン詩からロマンス詩へ
第54回(1999.5.15)
- 工藤裕子:ボローニャと「オリーブの木」―政治的伝統と市民参加
- 一ノ瀬俊和:草の根の日伊交流―チェルタルドと甘楽町の場合
第53回(1999.2.6)
- 小林勝:プレッツォリーニとレッジョ・エミーリア
- 吉田光司:フランコ・アルファーノとイタリアオペラの終焉
第52回(1998.12.5)
- N. Dessardo:Il Vivaldi sconosciuto ovvero il Vivaldi del melodramma
- 木名瀬紀子:フィレンツェ洗礼図への新視点
第51回(1998.10.3)
- 東哲史:イタリア語の時制とアスペクト
- Marco Sbaragli:Miti e realtà del colonialismo italiano
第50回(1998.6.27)
- 團名保紀:ピサ大聖堂内ティーノ・ディ・カマイーノ作洗礼盤のサインについて
- Giuseppina Cerulli:Gli ultimi orientamenti della ricerca italiana delle antichità
第49回(1998.5.9)
- 中嶋康:イタリア外交政策の地政学的要因
- 児嶋由枝:フィデンツァ大聖堂のファサード彫刻―二つの家族像をめぐって―
第48回(1998.2.5)
- Alessandro Gerevini:Banana Yoshimoto in Italia
- 青木洋一郎:ダンテの見たイタリア語(「俗語詩論」の場合)
第47回(1997.12.6)
- Silvana De Maio:Il conte Fè d’Ostiani nei rapporti fra Italia e Giappone negli anni settanta dell’Ottocento
- 鈴木信五:動詞の前方の要素とコントラスト―古イタリア語と現代イタリア語の場合
第46回(1997.10.11)
- 小森谷慶子:パラティーノの丘、その遺蹟と再整備計画について
- Alda Nannini:Costì e costà:un aspetto della deissi nel toscano
第45回(1997.7.5)
- 吉田光司:プッチーニの蝶々夫人の初演と改訂について
- 田畑賀世子:イタリアにおける古事古物学研究―現代古代史学の成立
第44回(1997.5.24)
- 藤澤明寛:古代イタリア都市経済の一側面
- 堤康徳:翻訳をめぐるタブッキの短篇について
第43回(1997.1.25)
- 木名瀬紀子:ヴァザーリの表現Amoriをめぐる解釈試論―ゼフュロスとクロリス
- 田辺清:フラ・バルトロメオの《聖母子像》について
第42回(1996.12.7)
- 山本真司:西洋中世キリスト教世界の言語モデル?
- 増山暁子:北伊古城とアーサー王文学
第41回(1996.10.12)
- 軍侍紀子:近代イタリアにおける言語の問題
- 藤谷道夫:建築としての神曲
第40回(1996.6.29)
- ルチアーナ衣川:Sibilla Aleramo:Una donna
- 片桐頼続:レオナルド・ダ・ヴィンチの遠近法と視覚のメカニズムの探究
第39回(1996.5.11)
- 日置拓人:戦前のイタリアの集合住宅
- 吉田光司:ジョヴァンニ・シモーネ・マイール―イタリアのドイツ人
第38回(1996.2.3)
- 田中由称子:イタリアの磔刑図について―チマブエを中心に
- 堤康徳:映画「自転車泥棒」とイタリア人の生活
第37回(1995.12.2)
- Alda Nannini:L’apprendimento della relativizazione in descenti di madrelingua giapponese, osservazioni e proposte didattiche
- 藤谷道夫:ダンテの表現形式―ラテン文学との関連において―
第36回(1995.10.7)
- 小林勝:世紀末フィレンツェの文化状況―高等研究所と雑誌イル・マルゾッコ
- 大原まり子:シモーネ・マルティーニの祭壇画に関する一考察
第35回(1995.7.1)
- ルチアーナ衣川:Paganini ed il suo allievo, Camillo Sivori
- 島津紀久子:電波でつなぐイタリアと日本
第34回(1995.4.22)
- 市野奈都子:システィーナ礼拝堂天井画 その成り立ちと問題点
- 増山暁子:ディーノ・ブッツァーティの東京だより
第33回(1995.2.4)
- 中島康:冷戦下におけるイタリアのNATO外交
- 河上眞理:16世紀ヴェネツィアにおける「田園風景画」の成立について
第32回(1994.12.3)
- 高橋朋子:画家・パトロン・戦争―ジョルジョーネの《テンペスタ》とティッツィアーノの「戦争画」
- 坂崎則子:ルネッサンス・リュート音楽におけるイタリアの影響力
第31回(1994.10.15)
- 飯田玲:ジャック・カロの肖像について
- Giorgio Amitrano:Tendenza della narrativa contemporanea in Giappone e in Italia
第30回(1994.6.25)
- 菅田茂昭:イタリア語の地中海的要素
- Giuseppina Cerulli:L’Italia ponte dei popoli mediterranei
第29回(1994.4.23)
- 河上眞理:チーマ・ダ・コネリアーノについて
- 増山暁子:イタリアの散文トリスタン「ターヴォラ・リトンダ」
第28回(1994.2.5)
- 高橋利安:イタリア第一共和制の終焉―新しい選挙法について
- 山本信司:フリウリ語とその位置について
第27回(1993.12.4)
- Maurizia Aigner:Due poeti crepuscolari:Guido Gozzano e Sergio Corazzini
- 松浦千誉:イタリアの離婚法
第26回(1993.10.2)
- 五十嵐勇:16世紀イタリア料理法のフランスに及ぼした影響について―カトリーヌ・メディシスとプラティネ
- 森尾総夫:カルロ・ギンズブルグの『ピエロ・デッラ・フランチェスカ』をめぐって
第25回(1993.7.3)
- 田畑賀世子:4世紀後半の国家と教会―381年アクィレイア公会議を中心に―
- 藤岡寛己:第一次大戦後のカトリック系労働組合
第24回(1993.5.29)
- 小林勝:パピーニとプレッツォリーニ―フィレンツェ1899年―
- 勝田由美:解放主義の女性運動(1890年から1908年まで)
第23回(1992.12.5)
- 徳家統:建築の風景
- 増山暁子:ドロミティ・アルプス(ラディン語地域)の伝説について
第22回(1992.9.26)
- 小森谷慶子:アヴァンギャルド建築家G.L.ベルニーニ
- 亀崎勝:マサッチォ―再生したジオット―
第21回(1992.6.27)
- 厚見恵一郎:マキャベッリの政治思想
- 河上眞理:ジョルジョーネ研究―ドイツ商館外壁壁画について―
第20回(1992.5.9)
- リア・ベレッタ:御雇外国人キヨッソーネ
- 馬場広信:パゾリーニと1949年―「或ること」の夢と崩壊
第19回(1992.2.7)
- 高橋朋子:ティッツィアーノの「スポレートの戦い」をめぐって
- 工藤裕子:イタリアの都市文化―ミラノをめぐって
第18回(1991.12.7)
- 勝田由美:アンナ・マリア・モッツォーニの生涯と活動
- 北田葉子:ガリレオとメディチ家
第17回(1991.10.12)
- 小林勝:両大戦間におけるフィレンツェ文化の概観
- 長谷川正允:ローマのバロック建築
第16回(1991.6.15)
- 北田葉子:ガリレオとイエズス会士
- 正富りか:14,5世紀、イタリア中部のテーベ図―その図像モチーフの考察
第15回(1991.5.11)
- 野村昌幸:13世紀後半におけるアラゴン連合王国のシチリア進出―王太子ペドロとシチリア問題
- 工藤裕子:イタリアの都市政策―景観にみるその理論と現実
第14回(1991.2.7)
- 小瀬村幸子:オペラの翻訳
- 菅田茂昭:派生と合成―生成形態論的アプローチ
第13回(1990.12.8)
- 徳橋曜:中世商人の地縁的関係に関する考察の試み
- 五十嵐勇:16,17世紀のフランス・イタリアにおける食への宗教規則の状況変化について―バターとオリーブ油
第12回(1990.10.6)
- 亀永洋子:中世イタリアにおける寡婦
- 木名瀬紀子:ボッティチェルリの「ヴィーナスの誕生」図におけるヴィーナス図像についての一考察
第11回(1990.6.16)
- 松本佐保:14世紀フィレンツェと穀物供給
- 野口昌夫:イタリア中世小都市の都市組織と形成過程
第10回(1990.4.21)
- 根占献一:イタリア・ルネサンスにおけるフォルトゥーナの意義
- 池上公平:ルネサンスの「風景画」
第9回(1990.2.7)
- 西村安弘:ジョヴァンニ・ヴェルガの自由間接話法とネオレアリズモ映画の系譜
- 児嶋由枝:或る踏み絵の系譜―ミケランジェロのピエタとの関連について
第8回(1989.12.9)
- 工藤裕子:イタリア官僚制の行政的・政治的機能と政党
- 今井桜子:後79年埋没当時のポンペイ第一様式について
第7回(1989.10.28)
- 田澤美智子:イタリアの新聞について
- Luigi Polese Remaggi:I “Ragionamenti” di Francesco Carletti:invito alla rilettura dell’opera letteraria di un mercante fiorentino
第6回(1989.6.10)
- 池谷知明:イタリアの政党システムについて
- 小田内隆:12世紀のイタリアの宗教史の側面
第5回(1989.4.22)
- 布施一夫:フラ・アンジェリコの『十字架下降図』について
- 菅田茂昭:サルジニア島のことば
第4回(1989.2.4)
- 出射悦子:コンメディア・デラルテについて
- 小林勝:1920年代のG.プレッツォリーニ
第3回(1988.12.10)
- 松本佐保:14世紀トスカーナ地方における労働者の研究
- 関根秀一:ボッティチェルリの『三王礼拝』
第2回(1988.10.15)
- 勝田由美:アンナ・マリア・モッツオーニの『女性とその社会的諸関係』(1864)について
- 藤岡寛己:1919―1920年(4月)期の工場評議会とグラムシ
第1回(1988.6.25)
- 三森のぞみ:中世末期フィレンツェにおけるコンフラテルニタ(兄弟会)について
- 亀崎勝:ブランカッチ礼拝堂のフレスコ画をめぐって